こんなことで悩んでいる

全然まとまらないけど、書き残しておく。

状況

同じ部内で動いているプロジェクトのこと。いまだに終わらない。プロジェクトとは、システムの受託開発。規模としては25人月程度の中規模なもの。担当者はうちの会社のAさん。年齢的には脂の乗り切ったSE。部内には、部長さん、Aさん、俺、ほか若いプロパー数名がいる。

  1. 一度目のリリースに間に合わないとして、5名のメンバーを投入して、未実装の機能を盛り込み、試験再実施&改修のため2ヶ月の延長。
  2. 延長後、客先情報システム担当者による受入試験実施。やはりだめ。どうも機能仕様の確定から出来てない上に、単体試験レベルの障害が多すぎる。受入試験は停止、プロジェクト担当者は、客先に常駐し、客先情報システム担当者とともに、障害の対応&機能仕様の確定を行うため、2ヶ月の再延長。
  3. 再延長後、客先情報システム担当者による受入試験実施。やはりだめ。相変わらず機能仕様の確定が出来ていない。機能仕様書の作り直し&レビュー再実施の後、製造、単体試験、結合試験を実施するため、4ヶ月の再々延長。
    ↑イマココ。ここ"だけ"で+10人月の算出。
疑問に思うこと
  • 2の時点で行われるはずの、機能仕様の確定が行われていないって、一体なにをしていたんだろう。なぜ客先に行っているにも関わらず、相変わらず機能仕様が決まってないって、それを詰めに行っていたのでは?
  • 単体試験も、一部の機能で実施されていない事が判明。なぜ順調に行っているという報告が行われていたのか?
  • なぜ客先担当者より「Aさん、参っているようなので、定時であがらせてください」という話をさせるように仕向けたのか。終わるなら好きにすればいいと思うけれど、しっかり定時にあがって、この状況を招いているってどういうこと?
腹の立つこと
  • この担当者のプロジェクトメンバーに対する接し方が、ずいぶんと横柄であること。別プロジェクトからひっぱってきて、どれだけ迷惑かかっているかを理解していないのか?
  • それを俺から厳しく指摘されたAさん、別プロジェクトから来てくれた協力メンバーが休日出勤しているなか、体調崩したと言い、なんの作業指示もなく休んでいる。せめて指示出しなさいよ。
悩んでいること
  • どうしたらこの担当者のAが、普通の仕事が出来るSEになれるのだろうか?もしくはあきらめて、やめてもらう方向を考えたほうがいいか?
  • なぜこんな状況になってしまったのか。Aさんだけでなく、うちの会社の管理体制や、部長さんの進捗/作業管理の問題は?
  • 若いプロパーがモラハラを受けている状況をフォローしつつ取り持ってたが、この状況になっても頭を下げられないクソっぷりを放っておいて、さらにAの作業フォローするのは納得できなかった。が、あの時点で、俺が指摘してよかったのか?
  • 発生した障害から、他のプロジェクトで類似するものがあれば、共通の確認事項として、発生させないような仕組みを作らないと。

 

「ラブリー」と小沢健二さんについて

 小沢健二さんどころか、フリッパーズギターも知らずに「流行っているから」と友達に借りた「ラブリー」は、底抜けに明るいラブソングで、片思いしていた女の子の事なんか考えながら、ニヤニヤ聴いていた。その片思いは実る事なかったけど。

 社会に出てからは、音楽を新しく取り入れる事は無くなっていったが、小沢健二さんの曲、特に「ラブリー」は、友達に借りてから20年近く(15年くらいだろうと思って調べたら、1994年の曲だった。20年近いことにビックリ)経った今も聞き続けている。

 この度、4年ほど付き合っていた女の子と別れる事となり、やり直さんとするために自分の事を見つめ直す機会に恵まれた。その見つめ直す機会では、自分を否定する事、否定しちゃダメで、認める事、受け入れる事、物事の価値、生きる事とは、と広がって、とてもよい(苦しかったけど、得るものがたくさんだった)時間だった。…結局やり直す事は出来なかったんだけど、そんな時にも聴いていたのは「ラブリー」だった。

 いまになって解った事は、この曲は底抜けに明るいラブソングどころじゃなかった。出会いと別れ、始まりと終わりの悲喜を包み込んで続いていく日々あって、それでも人は前に進んでいく。道を見失った時こそ、それは「愛」だ、と、ためらう事なく歌い上げていた。

 "なるほど、こういうことか"と膝を打った。自分のうすっぺらな人生と重ねるなんて、身の程を弁えない事とは重々承知しているけど、こんな今だからこそ見えるものがあることに気がついた。小沢健二さん自身も「LIFE IS COMIN' BACK」と言えるまで、なにかしらの苦悩があったかもしれないのね…なんて、勝手に想像をしてみる。

『ラブリー』フル 小沢健二 - YouTube

 

 さて、手元には、先日ポチった「我ら、時」がある。やっと届いた。「ドゥワチャライク」「うさぎ!」の小冊子と、ライブCDが3枚、写真+写真立て、なんかの巻物(なんだろこれ?)、螺鈿?のボタン。ボタン使って、いいシャツでも拵えてみようか。

 しかし、なんだろうか、聴きたいんだけど、なぜか聴けない。照れくささのような、なんとも言えない気持ち。そしてうちにはまともなCDプレイヤーがない。困った。CDが聴けないのも困ったけど、20年近く聴いて、やっと一つの楽曲について、ほんの少しだけ理解できたっていうのに、「我ら、時」が解る時は、いったい何時になるんだろうか。

 いつまでも味わい続ける事が出来るアーティストを持てた。とても幸せな事だと思う。何気なく"ラブリー"を貸してくれた原田くん、感謝しています。あとアルバム「LIFE」のCD、よかったら返してください。聴き続けているなら良いです、持っていてください。

 

小沢健二 Official Web Site ひふみよ http://hihumiyo.net

16歳→31歳

 31歳を過ぎたあたりで、Webで文章を書くことをもう一度やってみたい。そう思ったので、はじめてみる。

 もう一度とは、高校生の時、ホームページを持っていた。約2年程、更新を続けていたが、ギターを覚え、バンドをはじめ、ほかに楽しいことがたくさんあったからか、特に無かったかもしれないけど、面倒になってやめたことがある。

 ホームページとはいえ、情報発信とは程遠い、ただの日記と掲示板のみだった。当時はHTMLを直接編集するような時代だったから、毎回、メインコンテンツが書かれているindex.htmlを上書きをしていた。意識的に履歴も残さなかったから、当時の内容はもうどこにも残っていない。なんにも考えず喜怒哀楽・思いつきのままを放り込んだテキストは、誰の価値にもならなかったと思う。

 学校や大人に対しての疑問について、恋の喜びと失恋の痛みについて、なんの脈絡も無く始まって終わるニセ長期連載小説、原付"鉄雄"とのツーリング記録、電柱写真コレクション。

 ゴミのようなコンテンツだっただろうけど、今の自分からすると、とても愛おしいと思える。いま31歳になった自分が、16歳の自分(のちょっと恥ずかしい思い出)を愛おしいと思っているように、10年先、15年先の自分が今を振り返った時、「あぁバカめ。かわいいじゃないか」と思えるように、記録を残そうと思う。

 また、発信することで、あの頃Webで知り合った仲間と再会できたら、それはそれは嬉しい。