「ラブリー」と小沢健二さんについて

 小沢健二さんどころか、フリッパーズギターも知らずに「流行っているから」と友達に借りた「ラブリー」は、底抜けに明るいラブソングで、片思いしていた女の子の事なんか考えながら、ニヤニヤ聴いていた。その片思いは実る事なかったけど。

 社会に出てからは、音楽を新しく取り入れる事は無くなっていったが、小沢健二さんの曲、特に「ラブリー」は、友達に借りてから20年近く(15年くらいだろうと思って調べたら、1994年の曲だった。20年近いことにビックリ)経った今も聞き続けている。

 この度、4年ほど付き合っていた女の子と別れる事となり、やり直さんとするために自分の事を見つめ直す機会に恵まれた。その見つめ直す機会では、自分を否定する事、否定しちゃダメで、認める事、受け入れる事、物事の価値、生きる事とは、と広がって、とてもよい(苦しかったけど、得るものがたくさんだった)時間だった。…結局やり直す事は出来なかったんだけど、そんな時にも聴いていたのは「ラブリー」だった。

 いまになって解った事は、この曲は底抜けに明るいラブソングどころじゃなかった。出会いと別れ、始まりと終わりの悲喜を包み込んで続いていく日々あって、それでも人は前に進んでいく。道を見失った時こそ、それは「愛」だ、と、ためらう事なく歌い上げていた。

 "なるほど、こういうことか"と膝を打った。自分のうすっぺらな人生と重ねるなんて、身の程を弁えない事とは重々承知しているけど、こんな今だからこそ見えるものがあることに気がついた。小沢健二さん自身も「LIFE IS COMIN' BACK」と言えるまで、なにかしらの苦悩があったかもしれないのね…なんて、勝手に想像をしてみる。

『ラブリー』フル 小沢健二 - YouTube

 

 さて、手元には、先日ポチった「我ら、時」がある。やっと届いた。「ドゥワチャライク」「うさぎ!」の小冊子と、ライブCDが3枚、写真+写真立て、なんかの巻物(なんだろこれ?)、螺鈿?のボタン。ボタン使って、いいシャツでも拵えてみようか。

 しかし、なんだろうか、聴きたいんだけど、なぜか聴けない。照れくささのような、なんとも言えない気持ち。そしてうちにはまともなCDプレイヤーがない。困った。CDが聴けないのも困ったけど、20年近く聴いて、やっと一つの楽曲について、ほんの少しだけ理解できたっていうのに、「我ら、時」が解る時は、いったい何時になるんだろうか。

 いつまでも味わい続ける事が出来るアーティストを持てた。とても幸せな事だと思う。何気なく"ラブリー"を貸してくれた原田くん、感謝しています。あとアルバム「LIFE」のCD、よかったら返してください。聴き続けているなら良いです、持っていてください。

 

小沢健二 Official Web Site ひふみよ http://hihumiyo.net